平塚らいてうとは何をした人?青鞜・名言の意味と生涯を解説

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歴史の授業やクイズ番組で「平塚らいてう」という名前を聞いて、何をした人だったか思い出せないことはありませんか。「らいてう」という不思議な表記や、「元始、女性は太陽であった」という有名な言葉の意味も、改めて聞かれると説明に迷うものです。

平塚らいてうは、明治の終わりに女性だけの文芸誌『青鞜』を立ち上げ、その後は女性の政治的な権利を求める運動を率いた人物です。この記事では、名前の読み方から生涯の年表、『青鞜』と名言の意味、新婦人協会の成果、「若いツバメ」の語源にまつわる話までを順に紹介します。2026年は生誕140年にあたる節目の年でもあります。

目次

平塚らいてうとは何をした人?ひと言でいうと

平塚らいてうは、日本の女性解放運動の先駆けとなった思想家・評論家です。1911年(明治44年)に女性による文芸誌『青鞜(せいとう)』を創刊し、創刊の辞に「元始、女性は太陽であった」と書きました。

大正時代には市川房枝らと新婦人協会をつくり、女性が政治の集会に参加できるよう法律の改正を求めました。戦後は平和運動にも力を注ぎ、85歳で亡くなるまで発言を続けています。文学から社会運動、平和運動へと活動の場を広げた人、とまとめるとわかりやすいでしょう。

プロフィール早見表

まずは基本的なプロフィールを表にまとめます。本名は「らいてう」ではなく、平塚明(はる)です。

項目内容
本名平塚明(ひらつか はる)
生まれ1886年(明治19年)2月10日、東京
亡くなった年1971年(昭和46年)5月24日、85歳
学歴日本女子大学校(現・日本女子大学)家政学部を卒業
主な活動『青鞜』創刊、新婦人協会の設立、戦後の平和運動
家族画家の奥村博史と事実婚。長女と長男の2人の子ども

「らいてう」の読み方と名前の由来

「らいてう」は「らいちょう」と読みます。高い山にすむ鳥、雷鳥(ライチョウ)から取ったペンネームです。昔のかなづかいでは「鳥」を「てう」と書いたため、この表記になっています。蝶を「てふ」と書いて「ちょう」と読むのと同じしくみです。

このペンネームが初めて使われたのは、『青鞜』創刊号に載せた文章でした。資料によっては「平塚雷鳥」「平塚らいてふ」と書かれることもありますが、いずれも同じ人物を指します。

平塚らいてうの生涯を年表でたどる

らいてうの85年の生涯は、明治・大正・昭和の3つの時代にまたがります。時代ごとに活動の中心が変わっていくので、区切って見ると流れがつかみやすくなります。

明治:日本女子大学校と禅、塩原事件

らいてうは、会計検査院に勤める官僚の家の三女として東京で生まれました。1903年に日本女子大学校の家政学部へ進みましたが、家事を学ぶ授業よりも哲学や宗教の本に夢中になったといいます。在学中から禅の修行に打ち込んだことも、のちの考え方に大きく影響しました。

卒業後の1908年には、作家の森田草平と栃木県の塩原の山中で心中未遂を起こし、新聞で大きく報じられます。この「塩原事件」で世間の非難を受けたことが、自分の生き方を見つめ直すきっかけになったとされています。

大正:『青鞜』から新婦人協会へ

1911年に創刊した『青鞜』は、大正時代に入ると女性の生き方そのものを論じる雑誌へ変わっていきます。1915年に編集を伊藤野枝へ託したあとは、子育てをしながら評論を書き続けました。1919年には新婦人協会の設立を発表し、女性の政治参加を求める運動の先頭に立ちます。

昭和:戦後の平和運動と晩年

戦後の1945年に女性の参政権が認められると、らいてうの関心は平和の問題へ移っていきます。1953年には日本婦人団体連合会の初代会長となり、国際民主婦人連盟の副会長も務めました。晩年は自伝の執筆に取り組み、1971年に85歳で亡くなっています。

年できごと
1886年(明治19年)東京に生まれる
1903年(明治36年)日本女子大学校家政学部に入学
1908年(明治41年)塩原事件
1911年(明治44年)『青鞜』を創刊
1914年(大正3年)奥村博史との共同生活を始める
1916年(大正5年)『青鞜』が2月号で休刊
1920年(大正9年)新婦人協会の発会式
1922年(大正11年)治安警察法第5条の一部改正が実現
1953年(昭和28年)日本婦人団体連合会の初代会長に
1971年(昭和46年)85歳で死去

らいてうが活動した期間は、20世紀の初めから1970年代までとほぼ重なります。明治・大正・昭和の年号と西暦を見比べると、時代の流れがつかみやすくなります。

『青鞜』とは?創刊のいきさつと誌名の由来

『青鞜』は、女性の手で書き、編集し、発行した文芸誌です。1911年9月に創刊され、1916年2月号まで全52冊が出されました。

きっかけは、評論家の生田長江が「女性だけの文芸誌をつくってみては」とすすめたことでした。らいてうは日本女子大学校の同窓生など5人で発起人となり、母から結婚資金として用意されていたお金を発行費用にあてたと伝えられています。創刊号の表紙は、のちに高村光太郎の妻となる長沼智恵子が描きました。

誌名「青鞜」に込められた意味

「鞜」は靴を意味する漢字で、「青鞜」は英語の「ブルーストッキング(青い靴下)」の訳です。18世紀のロンドンで、文学や学問を語り合うサロンに集まった女性たちがこう呼ばれていました。当時は「学のある女性」をからかう言葉でもありましたが、あえてその名前を選んだところに、創刊者たちの意志が表れています。

与謝野晶子の寄稿と「新しい女」への反発

創刊号には、歌人の与謝野晶子が「山の動く日来る」で始まる詩を寄せ、大きな話題になりました。全国の女性から手紙が届くほどの反響があった一方で、新聞は青鞜社の女性たちを「新しい女」と呼んで、からかい半分に書き立てます。

雑誌は内容が風俗を乱すとして、たびたび発売禁止の処分も受けました。らいてうは1915年に編集と発行を伊藤野枝へ引き継ぎますが、経営は苦しいままで、1916年2月号を最後に休刊となります。わずか4年半ほどの雑誌でしたが、女性が自分の言葉で考えを発表する場を切り開いた意味は大きいといえます。

木の机の上に置かれた大正時代風の薄い文芸誌と万年筆、インク瓶。窓から朝の光が差し込む静かな書斎。くすみカラーの北欧イラスト風、シンプルな線画(文字・ロゴ・人物の顔なし)

「元始、女性は太陽であった」の意味

この言葉は、「女性はもともと自分の力で輝く存在だった。その力を取り戻そう」という呼びかけです。『青鞜』創刊号の巻頭に、らいてうが書いた「創刊の辞」の書き出しにあたります。

冒頭の原文と現代語の意味

よく引用される冒頭の部分を、現代の表記に直して紹介します。

創刊の辞の冒頭

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

現代の言葉にすると「はじめのころ、女性は自分で光を放つ太陽のような、本当の意味での人間だった。ところが今の女性は、他人に頼って生き、他人の光を受けてやっと輝く、青白い月のようになってしまった」という意味です。この文章は、隠されてしまった自分の中の太陽を取り戻そう、と続きます。

「太陽」と「月」のたとえが示すもの

太陽は自分で光を出し、月は太陽の光を反射して光ります。らいてうはこの違いを、自分の意思で生きることと、父や夫など誰かに頼って生きることにたとえました。家の中で役割を果たすことだけを求められていた当時の女性に、自分の才能を発揮してよいのだと伝えたのです。

この文章は、のちに日本の女性による「女権宣言」と呼ばれるようになりました。らいてうの自伝も、この一節をそのまま題名にした『元始、女性は太陽であった』です。座右の銘として紹介されることもあり、自分らしく生きたい人を励ます言葉として今も読まれています。

「元始」と「原始」の違い(よくある書き間違い)

この言葉は「原始、女性は太陽であった」と書かれることがありますが、原文は「元始」です。「元始」は物事のはじまり、おおもとという意味で、「原始」は文明が開ける前の自然のままの状態を指します。らいてうが言いたかったのは大昔の社会の姿ではなく、女性が本来持っている姿のことなので、「元始」と覚えておくとよいでしょう。

「元始、女性は太陽であった」は、昔をなつかしむ言葉ではありません。女性が自分の力で輝くことを取り戻そう、という未来に向けた宣言です。

新婦人協会と女性の権利

らいてうが文学の世界から社会運動へ踏み出したのが、新婦人協会です。1919年11月に市川房枝・奥むめおらと設立を発表し、1920年3月28日に発会式を開きました。女性の社会的・政治的な権利を求めた団体で、約3年で解散しましたが、戦前の女性運動として目に見える成果を残しています。

治安警察法第5条の改正(1922年)

当時の治安警察法第5条は、女性が政党に入ることや、政治について話す集会に参加すること、集会を開くことを禁じていました。新婦人協会はこの条文を改めるよう国会に請願を重ねます。その結果、1922年に第5条第2項が改正され、女性も政治の集会に参加したり、集会を呼びかけたりできるようになりました。

ただし政党への加入は認められないままで、選挙権もまだありませんでした。女性が初めて選挙権を得たのは戦後の1945年で、翌1946年4月の衆議院議員選挙で初めて投票しています。新婦人協会の運動は、その道を開いた最初の一歩といえるでしょう。らいてう自身は体調を崩し、協会の解散より前に活動の中心から退いていました。

与謝野晶子との母性保護論争

新婦人協会をつくる直前の1918年から翌年にかけて、らいてうは与謝野晶子と雑誌の上で議論を交わしました。これが「母性保護論争」です。晶子は、女性は国に頼らず、働いて経済的に自立すべきだと主張しました。

これに対してらいてうは、子どもを産み育てることは社会全体にかかわる仕事なので、国が母親を支えるべきだと反論します。のちに山川菊栄や山田わかも加わり、女性の働き方と子育てをめぐる議論として広く知られるようになりました。仕事と子育ての両立という、今に通じるテーマが100年以上前に論じられていたことになります。

「若いツバメ」の語源にもなった私生活

年上の女性の恋人になる年下の男性を「若いツバメ」と呼ぶことがあります。この言い回しは、らいてうと年下の画家・奥村博史の恋愛から広まったものです。

らいてうは、5歳年下の奥村と知り合って間もなく親しくなりました。2人の関係が青鞜社の仲間に知られて騒ぎになると、奥村は身を引こうと考え、らいてうに別れの手紙を送ります。そこに書かれていたのが「若い燕は池の平和のために飛び去っていく」という一文でした。らいてうがこのいきさつを『青鞜』に書いたことで、「若いツバメ」という言葉が世間に広まったとされています。

結婚という形を選ばなかった理由

2人は結局別れることなく、1914年に共同生活を始めます。らいてうは、妻が夫の家に入る当時の結婚制度に納得できないとして、婚姻届を出さない道を選びました。その考えは「独立するに就いて両親に」という文章にまとめられています。

2人の間には1915年に長女、1917年に長男が生まれ、子どもたちは母の姓を名乗りました。ところが1941年、長男が兵役につくことになり、婚外子として軍隊で不利な扱いを受けないよう、らいてうは奥村家の籍に入ります。自分の信念を守ってきたらいてうが、子どものために形を変えた出来事でした。

池のほとりの柳の枝から、2羽のツバメが青空へ飛び立つ様子。水面には小さな波紋。くすみカラーの北欧イラスト風、シンプルな線画(文字・ロゴなし)

よくある質問

平塚らいてうと与謝野晶子の違いは何ですか

与謝野晶子は『みだれ髪』で知られる歌人で、作品を通して女性の思いを表現しました。らいてうは評論家・運動家として、雑誌や団体を立ち上げて社会に働きかけた人です。晶子は『青鞜』創刊号に詩を寄せた協力者でしたが、母性保護論争では立場の違いから意見を戦わせています。

平塚らいてうはお札の肖像になりましたか

なっていません。2024年に発行が始まった新しい五千円札の肖像は、女子教育に力を尽くした津田梅子です。明治から昭和にかけて活躍した女性という点で混同されることがありますが、別の人物です。

神奈川県の平塚市と関係がありますか

「平塚」は名字で、らいてうは東京の生まれです。地名の平塚市にちなんだ名前ではないので、出身地と間違えないようにしましょう。

「らいてうの家」はどこにありますか

長野県上田市真田町にある記念館で、NPO法人平塚らいてうの会が2006年に開きました。らいてうが信州の自然を愛し、生前に買い求めた土地を含む高原に建っています。冬は休館し、春から秋の限られた曜日だけ開くので、訪れる前に公式の案内で開館日を確かめてください。

「平塚らいてう賞」とは何ですか

らいてうの母校である日本女子大学が、らいてうの卒業100年を記念して2005年に設けた賞です。男女共同参画社会の実現や、女性解放を通じた世界平和にかかわる研究・活動を行う個人や団体をたたえています。2026年には第20回の募集が行われました。

まとめ

平塚らいてうは、女性が自分の言葉で考えを発表し、社会に参加する道を切り開いた人物です。最後に、この記事の要点を振り返ります。

  • 「らいてう」は「らいちょう」と読み、雷鳥から取ったペンネーム。本名は平塚明(はる)
  • 1911年に女性の文芸誌『青鞜』を創刊し、1916年2月号まで全52冊を発行した
  • 「元始、女性は太陽であった」は、女性が本来の力を取り戻そうと呼びかけた言葉
  • 新婦人協会の運動で、1922年に女性も政治の集会に参加できるようになった
  • 「若いツバメ」は、年下の画家・奥村博史との恋愛から広まった言葉
  • 戦後は平和運動に取り組み、1971年に85歳で亡くなった

生誕140年の2026年は、記念の公演や講演会も開かれています。名言の意味や生涯の流れを知っておくと、歴史の授業やニュースで名前を見かけたときに、ぐっと身近に感じられるはずです。

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